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東京高等裁判所 平成8年(行ケ)144号 判決 1999年5月11日

主文

原告らの請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は原告らの負担とする。

理由

第一  請求の原因一ないし三の事実は、当事者間に争いがない。

第二  本件明細書の記載について

《証拠略》によれば、本件明細書には、本件発明について、以下の内容の記載があることが認められる。

一  本件発明は、桃の品種として、甘酸適度で、果実が比較的大きく、黄肉種の加工用にもなるが、主として生食用である黄肉の桃黄桃を育成し、これを常法により無性的に増殖することを目的とする。(一欄三七行ないし二欄三行)

二(1) 育種目標

本方法は、果実が比較的大きく、甘酸適度であり、品質のよい黄桃種の桃新品種を育成することを目標として出発した。(二欄四行ないし七行)

(2) 本件発明の新品種黄桃(本件黄桃)の育種過程

ア この新品種「黄桃」の育種は、昭和二七年から昭和四二年にかけて、発明者の農場である東京都世田谷区上北沢一-一四-一八において実施した。

イ まず、昭和二七年に、「タスバーター」を種子親とし、「晩黄桃」(判決注・本件明細書中では「晩生黄桃」とも記載される。)を花粉親として交配を行った。

上記の「タスバーター」は、発明者が、昭和一五年、当時在住していた朝鮮慶尚南道蔚山郡長生浦において、黄桃の改良のため、米国の缶詰専用黄桃品種「タスカン」に、同じく米国の黄肉種の桃品種「エルバーター」を交配して育成し、発明者が命名した品種である。また、上記の「晩黄桃」は、同じく、発明者が、昭和一五年ころ、同所において発見した偶発実生から選抜淘汰し、発明者が命名した品種である。

ウ この両品種を採用した理由は、種子親(♀)とした「タスバーター」は、酸味は強いが、果実が大きいという特徴を有しており、他方、花粉親(♂)として採用した「晩黄桃」は、果実は甘いが、外観が悪く、酸味が少ないという欠点を有していたため、この両者の優秀な形質を利用することにあった。

エ 昭和二七年に、前記イにより交配種子約一五〇粒を得て、これを播種し、実生苗一三〇本を得た。

オ 昭和二八年、上記実生苗より、両親の中間形質を供えていると思われるもの約三種を選び、二〇本ずつ計六〇本を実生砧木に切接ぎして、供試苗とした。

カ 昭和二九年から昭和三三年までの間、各系統の形質を比較しながら、前記両親の中間形質のものの選抜を繰り返し行った。

キ 昭和三五年にようやく希望に沿ったものが育成されたので、これについて、更にその均等性、安定性、永続性等について検討を加え、その確認に今日まで要したが、今回、ようやくその理想とする要件を満足し、かつ、その特性の均等性、安定性、永続性の確認ができたため、本出願に至った。(二欄八行ないし三欄一四行)

(三) 本件発明の新品種黄桃(本件黄桃)の両親の来歴及び特性

ア タスバーター種(本件黄桃の種子親)

a 来歴

前記(2)イのとおり

b 特性

樹勢 旺盛、立木性

葉 東洋系の桃とは異なった、葉縁に波打ちがあり、かつ鈍鋸歯のある披針形である。

花 淡紅色の蕊咲きである。

花粉はほとんどない。開花は比較的早い。

果実 大きさ 大果、四〇〇g以上のものもある。平均三五〇g。

形状 円形で果頂に小突起を生ずる。

果色 熟すと肌黄色となり、日向面に紅暈を現し、外観きわめて美しい。

果肉 色黄色で、肉質緻密であり、粘核種。

味 糖度普通で、やや酸味が強く、生食用としては本種の花粉親エルバーターよりも美味である。

栽培 洪積層(火山灰土)においては生理的落果が多い。粘質土壌においては落果が少ない。(五欄一行ないし三二行)

イ 晩黄桃(本件黄桃の花粉親)

a 来歴

前記(2)イのとおり。父母不明の偶発実生の黄肉種の桃を選抜淘汰して作出したものであり、終戦時芽接した苗を持ち帰ったものである。

b 特性

樹勢 普通

葉 葉縁に波打ちがなく、東洋系と思われる。

花 普通咲き、花粉多く、開花は普通、色は淡紅色である。

果実 形に特に変わった点はない。中果。

果色は地肌黄色に赤色の暈を現し美しい。

果肉は黄色で肉質緻密、味は糖度多く、酸味少なく、甘味のみが感ぜられる。

熟期 八月上旬ないし中旬

その他 熟すと軟化するので、缶詰用としては不向きである。(五欄三九行ないし六欄一七行)

三  本件発明によって育成された新品種「黄桃」(本件黄桃)の特性

樹勢 旺盛であり、耐病性も強い。

葉 葉縁は鈍鋸歯状で、幅広い披針形である。

色 若葉の色は、英国王室園芸協会色表(ローヤルホルティカルチュラル カラーチャート(Royal Holticultural Color chart)、以下「カラーチャート」という。)一三八/B-Dグリーングループであり、成葉の色は、カラーチャート一三七/Aグリーングループである。蜜線の形は賢臓形である。

花 花芽の発生は多く、蕊咲きで、大きさは比較的小さい。

花粉は多く、自花受精する。

色は淡紅色である。

開花期は、一般の桃より早く、東京付近で三月下旬ないし四月上旬である。

着花率は良く、東京方面の台地においても生理的落花は少ない。

果実 重量は、二二〇gないし三五〇gで、平均二五〇gである。

大玉で、円形、玉揃えもよい、果頂部の窪みはなく、梗窪の深さ、広さ共に中位で、縫合線は明瞭である。

果皮 厚さ中程度で強靭、先端の先熟はなく、平均に熟し、地肌が未だ緑色がかった時期に収穫して、六~八日に及び追熟させても、他の桃と異なり極端な劣変がなく、食味が変わらず、したがって、遠距離輸送に耐え、店頭販売にも好都合である。

熟期 八月上旬ないし中旬である。

収穫量 多収である。

果皮色 地肌黄色カラーチャート一九/Aイエローオレンジグループに、向陽面には紅色カラーチャート四一/A-四七/Aレッドグループの紅暈を現す。

果肉色 黄色カラーチャート一七/Bイエローオレンジグループである。

果肉質 緻密で多汁、繊維少ない。

種子 大きさは、他の品種に比べ小形であり、粘核である。

食味 甘味強く、酸味少ない。また、他の黄桃にみられる渋味は全くない。

食味についての精密データを示すと下記のとおりである。

調査方法

果実採取 昭和五二年八月一〇日

調査月日 昭和五二年八月一三日

調査時熟度 柔軟Soft

供試個体数 五個

(1) 調査項目

PH ガラス電極法による。

滴定酸度 通常の方法にならって、〇・一NのNaOHで滴定する。リンゴ酸として計算。

糖度 市販の屈折糖度計による。

(以上の三項目については、一個の果実の約三/四の果肉をガーゼで搾汁したものにつき測定した。)

可溶性固形物比率 果肉一〇gを採取し、赤外線水分計で水分量を測定し、恒量時の重量をもって表した。

(2) 試験結果

PH 個体No.1について、 四・七八

同2について、 四・八二

同3について、 四・八九

同4について、 四・八九

同5について、 四・八一

平均値 四・八四

滴定酸度(リンゴ酸g/一〇〇ミリリットル)

個体No.1について、 〇・四三

同2について、 〇・三七

同3について、 〇・三五

同4について、 〇・三六

同5について、 〇・三〇

平均値 〇・三八

糖度 個体No.1ないし5について、 一二ないし一六%

可溶性固形物比率

個体No.1ないし5について、平均一一・〇

(六欄一八行ないし七欄三〇行及び八欄一行ないし二八行)

四  本件黄桃及びその両親の各所在

本件黄桃の種子親となったタスバーター種及び本件黄桃の原木は、発明者の農場である東京都世田谷区上北沢一-一四-一八に保管栽培されている。

また、花粉親である晩黄桃の原木は、発明者の弟である東京都目黒区祐天寺一-二七倉方正四郎方の庭内にあり、更に、これより穂木を採り接木して成木となったものが、島根県邑智郡邑智町京覧原四九七-三渡辺実方の農場に保管栽培されており、本件発明の確認及び本件黄桃の特性確認のために役立て得ることを宣言する。(七欄三一行ないし四四行及び八欄二九行、三〇行)

五  本件黄桃の増殖法

従来周知の芽接、切接等、果樹類の通常の無性的繁殖法によって、容易に、かつ、正確に本件品種の形質を後代に伝え得るものである。(八欄三一行ないし三四行)

六  栽培上の留意点

本件黄桃は、桃の一般病害に対し強いので、栽培は容易である。花芽が多く着生する性質があり、花粉もきわめて多く、かつ、自花受粉の性質を有するので、本品種の単植や、家庭園での一本植えも可能である。なお、生理的落果も少ないので、経済的栽培品種である。(八欄四一行ないし九欄三行)

第三  審決の取消事由について判断する。

一  取消事由5(特許請求の範囲の余事記載の判断の誤り)について

(1) 原告らは、本件発明は、桃の新品種黄桃を育種する方法の発明であるのに、特許請求の範囲に「常法により無性的に増殖する方法」という増殖に関する事項が構成要件として記載されているから、発明の構成に欠くことができない事項のみを特許請求の範囲に記載することを要求する昭和六二年法律第二七号による改正前の特許法三六条五項の規定に違反する旨主張する。しかし、本件発明が、「桃の新品種黄桃を育種する方法の発明」ではなく、発明の名称が「桃の新品種黄桃の育種増殖法」であって、桃の新品種黄桃を育成し、これを常法により無性的に増殖することを目的とすることは、前記第一及び第二の一の事実から明らかであるから、上記増殖に関する事項は発明の構成に欠くことができない事項と認められる。

(2) 原告らは、増殖方法は、先行技術によって解決ずみの技術的課題であって、上記増殖方法の構成要素が、未解決の技術的課題である「新品種を育種すること」の達成にむけて、他の構成要素と有機的に協働することはないと主張する。しかし、桃の新品種黄桃を育成し、これを常法により無性的に増殖するという本件発明の目的は、上記増殖方法を含めた特許請求の範囲記載の構成により初めて達成されることは明らかであるから、上記増殖方法は、他の構成要素と有機的に協働しているものというべきである。原告らの主張は、失当である。

(3) なお、原告らは、本件発明の特許請求の範囲のうちの、「常法により無性的に増殖する方法」の部分は、発明の要旨となるものではないから、審決は、発明の要旨の認定を誤っている旨主張する。しかし、上記増殖に関する事項が本件発明の構成に欠くことができない事項であることは、上記認定のとおりであって、上記増殖に関する事項は、発明の要旨となるものであるから、審決に原告ら主張の誤りはない。

二  取消事由1(要旨の変更の判断の誤り)について

(1) 《証拠略》によれば、当初明細書には、「特許請求の範囲 本文に詳記し、図面に示すように葉縁がわずかに波立つか種子親タスバーター程には波立たない大きな波(判決注・披の誤記と認める。)針形の葉を有し、花は淡紅色の蕊咲きで、花粉多く自家受精の性質を有し、結実多く、果実は整った円形で、果皮強靭であり、色は黄色地に陽光面に紅暈を現し、外観きわめて美麗であり、果肉は黄色で、肉質きわめて緻密で繊維少なく粘核であり、核の周囲に着色が少く微酸を含む甘味を有し、果頂と底部との味の差がなく、芳香を有することを特徴とする桃の新品種倉方黄桃。」(一頁四行ないし一四行)、「本発明の桃植物の新品種“倉方黄桃”の原木は、本発明者の農場である。東京都世田谷区上北沢一-一四-一八に……保管栽培されており、本種の特性確認のために役立て得ることを宣言する。

栽培上の留意点 本発明の新品種“倉方黄桃”は、桃の一般病害に対し強いので栽培は容易である。花芽が多く着生する性質があり、花粉もきわめて多く、且つ自花受粉の性質を有するので、本品種の単植や家庭園での一本植えも可能である。」(一三頁下から八行ないし一四頁四行)との記載があることが認められ、上記記載によれば、上記「倉方黄桃」は、単植や家庭園での一本植えも予定されていることが認められるところ、上記単植や家庭園での一本植えを実現するためには、単植及び家庭園での一本植え用に、原木とは別の苗木を用意する必要があるから、上記記載は、上記「倉方黄桃」の増殖を前提としていることが明らかである。

一方、甲第八号証によれば、甲第八号証刊行物には、「果樹に、性質のちがう品種が数多くあるのは、種子を播いて育てたものは親とちがった性質をあらわすことになるのが大きな原因といってよい。果樹では、無性繁殖、つまり、挿木や接木によって繁殖が行なわれるから、同じ品種が種子を播いて世代をくり返すことをしない。」(四五頁一一行ないし一四行)、「一本の優秀な特性をもつ個体が出現すれば、その枝をとり、接木したり、種類によっては挿木によって、あるいは発育枝上の芽をとり、その芽接ぎを行なうことによって、親と全く同じ性質を発揮する個体は無限に繁殖することができる。」(四九頁一二行ないし一四行)との記載があることが認められ、上記記載によれば、果樹である桃の繁殖においては、接木、挿木、芽接ぎ等の無性繁殖を用いることが技術常識であることが認められる。

そうすると、本件発明によって育種された本件黄桃は、原木とは別の個体である苗木を用意するために、無性繁殖により繁殖されるものであることは、当初明細書に記載された事項から自明というべきである。

(2) 原告らは、当初明細書の前記「花芽が発く着生する性質があり、花粉もきわめて多く、且つ自花受粉の性質を有するので、本品種の単植や家庭園での一本植えも可能である。」との記載は、果実栽培(有性生殖)についての記載であると主張する。しかし、上記「倉方黄桃」の原木は発明者の農場に保管栽培されている以上、上記記載は、原木とは別の木を植えることを意味すると解するほかはないから、原木の果実栽培に止まらず、原木の増殖を前提としたものであることは明らかというべきである。したがって、原告らの主張は、採用することができない。

三  取消事由2(特許請求の範囲の記載不備の判断の誤り)について

(1) 原告らは、本件発明の特許請求の範囲には、選抜がどの段階(過程)で行われるのか及び選抜の段階(過程)における、選抜する上で必要な特性等の客観的指標(基準)が記載されているとはいえないから、特許請求の範囲の記載として不十分であると主張する。

しかし、本件発明の特許請求の範囲には、種子親及び花粉親を交配せしめ、得た種子より発芽した植物を選抜淘汰の結果、桃の新品種を育成することが記載されているから、選抜は、上記植物となった後の段階で行われることが明らかである。

また、本件発明は、本件発明の特許請求の範囲に記載された「葉縁がわずかに波立つが種子親タスバーター程には波立たない大きな披針形の葉を有し、花は、淡紅色の芯咲きで、花粉多く自家受精の性質を有し、結実多く、果実は整った円形で、果皮強靭であり、色は黄色地に陽光面に紅暈を現し、外観きわめて美麗であり、果肉は黄色で、肉質きわめて緻密で繊維少なく、粘核であり、核の周囲に着色が少なく、微酸を含み甘味を有し、果頂と底部との味の差がなく、芳香を有する桃の新品種黄桃」との特性を有する黄桃を選抜淘汰によって得るものである以上、選抜する上で必要な特性は、上記作出物の特性であることは自明である。

(2) 原告らは、<1>昭和二八年の選抜が初成り果実により行われたとすれば、本件発明の特許請求の範囲には初成り果実の特性(選抜基準)が記載されていないから、選抜できない、<2>昭和二八年の選抜において、葉の形質に基づいて約三種が選抜されたとすれば、本件発明の特許請求の範囲には単一の基準しか記載されていないから、約三種の選抜はできない、<3>昭和二八年の選抜について、本件発明の特許請求の範囲には、幼植物検定法による旨の記載はなく、また、幼植物検定法は、桃の育種に用いられていない旨主張する。

しかし、原告らが問題とする昭和二八年の選抜は、本件明細書の発明の詳細な説明の欄に記載された実施例に相当する「育種経過」において、実生苗を得た翌年にされた中間段階の最初の選抜である。しかし、桃において、実生苗を得た翌年に最初の選抜をしても、翌々年以降に最初の選抜をしても、選抜の対象となる苗は同じであるから、実生苗を得た翌年に最初の選抜をしなければ、翌々年以降は選抜ができなくなるというものではないことは、一般に広く知られた事実であることが明らかである。一方、本件発明の特許請求の範囲には選抜淘汰に関して、「選抜淘汰の結果」と記載されているのみであるから、これに上記一般に広く知られた事実を考慮すれば、本件発明において、実生苗を得た翌年に、上記昭和二八年の選抜のような中間段階の最初の選抜をすることが発明の必須の構成とされているものとは解されない。そうすると、実生苗を得た翌年に、上記昭和二八年の選抜のような中間段階の選抜をすることが発明の必須の構成ではない以上、その選抜の基準もまた、発明の必須の構成ではないことは明らかであるから、これが特許請求の範囲に記載されていないとしても、そのことをもって特許請求の範囲の記載が不十分であるということはできない。原告らの主張は、失当である。

四  取消事由3(発明の詳細な説明の欄の記載不備の判断の誤り)について

原告らは、本件明細書の発明の詳細な説明の欄に、選抜の過程、選抜の基準、選抜の方法等が、当業者が容易に実施できる程度に記載されていないと主張するので、その点について判断する。

(1)ア まず、昭和二八年の選抜について、当業者が容易に実施できるか否かについて検討する。

《証拠略》によれば、桃の品種育成において一般に行われている交雑育種の過程では、交配年の翌年に得られる実生苗において、葉芽は得られるが、花芽は得られないことが認められる。

そうすると、交配年(昭和二七年)の翌年である昭和二八年の選抜においては、実生苗から果実を得ることができず、育種目標である前記の果実の形質による選抜はできないものと解される。

しかしながら、本件黄桃は、果実の形質のほかに、葉の形質(「葉縁がわずかに波立つが種子親タスバーター程には波立たない大きな披針形の葉を有し」)及び花の形質(「淡紅色の蕊咲きで、花粉多く自家受精の性質を有し」)によっても特定されており、それらが一体となって、新品種である本件黄桃を特徴付ける要件とされているものであるから、葉の形質及び花の形質もまた、本件発明における本件黄桃の作出過程(以下「本件作出過程」という。)における選抜基準になり得るものというべきである。

そして、前記第二、二(3)アb及び同イbにおける本件黄桃の種子親「タスバーター」の葉の形質と、花粉親「晩黄桃」の葉の形質からみるならば、本件黄桃の「葉縁」の形状は、両親の各「葉縁」の形状の中間の形質を示しているというべきである。

また、上記の中間の形質における葉形や葉縁の形状は、その態様の異同について、視覚的に確認できるものであり、更に、甲第三号証によれば、本件明細書には、本件黄桃の葉の形質について、別紙第1図のとおりの葉部の枝の写真が添付されていることが認められるから、上記中間の形質については、当業者において客観的に把握、認識し得るものであったことが明らかである。

そうすると、本件明細書に、昭和二八年の選抜における選抜基準として、両親の「中間形質」とする旨のみが記載されていたとしても、当業者には、それが葉の形質を示すものであることが了知され、かつ、その「中間形質」としての形質の内容についても明確に了解し得るものであったというべきである。

イ  原告らは、昭和二八年の選抜では、果実以外(葉、茎、枝振り等)の植物要素を基準とすることとなるが、本件明細書の発明の詳細な説明の欄には、果実以外の具体的な選抜基準は記載されていないと主張する。しかし、昭和二八年の選抜において、葉の形質による選抜が可能であることは、上記認定のとおりである。

ウ  もっとも、原告らは、葉の形質については、本件発明の特許請求の範囲には、「葉縁がわずかに波立つが種子親タスバーター程には波立たない大きな披針形の葉を有し」、発明の詳細な説明の欄には、「葉縁は鈍鋸歯状で幅広い披針形」との単一の基準が記載されているに過ぎないから、昭和二八年の選抜の際に、葉の形質に基づいて、約三種を選抜することはできないと主張するので、検討する。

昭和二八年の選抜においては、「両親の中間形質を供えていると思われるもの」約三種を選んだというものである。ところで、同一の木に生えた葉であっても、全く同一の形質を有するということはなく、枝の中の着生部位、生えた時期等の環境条件の影響を受け、類似の形質を有しつつも変化があり、その形質にはある程度の幅のばらつきがあることは明らかである。そして、そのばらつきの幅の中に上記「中間形質」を含むものは、「両親の中間形質を供えていると思われるもの」であるが、これらの木について、他の葉も含めた葉全体の形質により分類した場合に、これらを約三種類に分類できないものではないこともまた、明らかである。したがって、昭和二八年の選抜について「両親の中間形質を供えていると思われるもの」である葉が生える木が一種類であることを前提とする原告らの主張は、採用することができない。

エ  更に、原告らは、桃において、生育初期の葉の形質と生育後期の葉の形質に同一性があるとの知見は得られていないのに、本件明細書の発明の詳細な説明には、生育初期における葉の形質が明らかにされていない旨主張するようである。しかし、子葉はともかくとして、同じ個体の桃の木については、遺伝子構成が全く同じであるから、発芽一年目の時代と成木の時代とで、葉の形質が全く異なるということは考えがたいし、また、これを認めるに足りる証拠はない。そうすると、両者の葉の形質が同一ではないとしても、それは、発芽一年目の若い木であるか、成木であるかに由来する相違があるに過ぎないものというべきであるから、桃の成育について知識を有する当業者において、成木の葉についての知識を基に、発芽一年目の葉を選抜できないものとは認められない。原告らの上記主張も、採用することができない。

オ  なお、原告らは、昭和二八年の選抜に関して、桃において、葉の形質と果実の形質との間に相関関係がないことは技術常識であるから、果実の形質を選抜する基準としての葉の形質に着目する幼植物検定法は、桃の育種に用いられていないと主張する。しかし、本件発明者が、上記昭和二八年の選抜において、果実の形質を選抜する基準として葉の形質に着目していたか否かはともかく、当業者が本件発明を実施しようとする場合には、既に本件明細書による教示があるのであるから、果実の形質を選抜する基準としての葉の形質に着目する必要はない。すなわち、当業者が本件明細書の発明の詳細な説明の欄の記載に従って本件発明を実施しようとする場合、当業者は、昭和二八年の選抜については、葉の形質と果実の形質との相関関係の有無も、幼植物検定法も知らなくとも、本件明細書に開示されている葉の形質に依拠して、これに該当する葉を有する個体を選抜することができるのである。したがって、果実の形質を選抜する基準としての葉の形質に着目する幼植物検定法が桃の育種に用いられていないとしても、当業者が本件発明を容易に実施することができないものではない。

(2) 次いで、昭和二九年以降の選抜について検討する。

原告らは、本件明細書には、昭和二九年以降の選抜について、その選抜において、種子親の特性と花粉親の特性に照らし、どのような形質を比較し、どのようにして中間形質を認定したのか不明であると主張する。しかし、当業者において、葉の中間形質が認定できることは、前示のとおりである。

また、前記第二、二(3)アb及び同イbにおける本件黄桃の種子親「タスバーター」、花粉親「晩黄桃」の花及び果実の形質からみるならば、本件黄桃の花及び果実の形質は、両親の中間の形質を示しているというべきであるところ、更に、甲第三号証によれば、本件明細書には、別紙第2図のとおりの花の写真、別紙第3図のとおりの果実の写真が添付されていることが認められるから、花及び果実の中間形質についても、当業者において客観的に把握、認識し得るものであることが明らかである。

五  取消事由6(産業上の利用可能性の判断の誤り)について

(1) 本件発明の目的は、その発明内容からみて、育種目標とする形質の基礎となるべき遺伝構造の異同にかかわらず、育種目標とする形質自体の獲得の点にあることが明らかであり、遺伝子構成により本件黄桃を特定することを目的とするものではない。そして、甲第九号証(六四四頁左欄二八行ないし六五一頁末行)、乙第一号証(「第二次訂正追補 果樹園芸大事典」昭和五九年一月一〇日株式会社養賢堂発行(昭和四七年五月二五日第一版発行)九〇頁右欄五行ないし六行)によれば、桃を含む果樹の形質の遺伝は複雑であり、遺伝構造の異同にかかわらず、部分的には同一の形質を含む多様な形質が発現し得るものであることが認められる。

したがって、これを前提にするならば、本件発明における本件作出過程を反復実施することにより、本件発明の育種目標とする形質と同じ形質が発現する可能性は、現実にはあり得ることである。そうすると、形質遺伝に係る遺伝構造の同一の観点からではなく、現実に発現する遺伝形質(特に、育種目標とする形質)自体の同一の観点からみるならば、本件作出過程により同じ形質が再発現する確率は、高いものとはいえないにしても、その可能性はあり得るものと認めるのが相当である。

そして、本件発明においては、一旦本件黄桃の形質が得られた以降は、本件黄桃は、常法により無性的に増殖を繰り返すことができるのであり、これを考慮すると、本件作出過程により同じ形質が再発現する確率は、高いものとはいえないことをもって、本件発明が産業上利用できないということはできない。

(2) 原告らは、桃においては、同じ形質を有しているとしても遺伝子構成が同一であるとは限らないから、同じ形質を有する種子親と花粉親を交配しても遺伝子学的に同一の子ができるとは限らないため、交雑方法を再度繰り返してその新品種の原始的入手を図っても、その確率は極めて低く、無性増殖による再入手の技術との相対において技術的価値がないので、産業上利用できる発明たり得ない旨主張する。

しかし、本件発明は、遺伝子構成により本件黄桃を特定することを目的とするものではないことは前示のとおりである。したがって、遺伝子学的に同一の個体を作出することの確率を前提として、本件発明の産業上の利用可能性を論じる原告らの主張は、その前提において失当である。

また、本件発明は、桃の育種増殖法であり、その産業上の利用可能性は、育種増殖法全体について検討されるべきものである。したがって、そのうちの育種過程のみを取り出し、これと育種された物の無性増殖による再入手の技術と比較して、その技術的価値を論じる原告らの主張は、この点においても理由がない。

六  取消事由4(進歩性の判断の誤り)について

(1) 本件発明は、晩黄桃を花粉親として使用するものであるところ、晩黄桃を花粉親として使用する桃の育種増殖方法が日本国内において公然知られた、あるいは、公然実施されていたと認めるに足りる証拠はなく、また、上記方法を示唆するものが存在したと認めるに足りる証拠もない。

そして、本件発明は、晩黄桃を花粉親として使用したことにより、前記第二、三の記載に係る特性を持つ本件黄桃が得られるという作用効果を奏するところ、本件黄桃の上記特性は、その果実の味だけでなく、単植や家庭園での一本植を可能とする「花芽の発生は多く」、「花粉は多く、自花受精する」との特性や、「果皮 厚さ中程度で強靭」、「六ないし八日に及び追熟させても、他の桃と異なり極端な劣変がなく、食味が変わらず、したがって、遠距離輸送に耐え、店頭販売にも好都合である。」との特性等も含めて考えるべきものであり、そうすると、既存の桃品種の交雑育種から当業者が容易に得ることができたものと認めることはできない。

したがって、本件発明は、日本国内において公然知られた、あるいは、公然実施されていた既存の桃品種の交雑育種から、当業者が容易に想到することができたということはできないものである。

(2) もっとも、原告らは、種苗法上別品種とされている場合であっても、同一若しくは類似した特性を有する桃は、類似した特性を有する桃としてとらえられるべきであり、晩黄桃の特性は生食用の桃の特性として公知又は周知のものであり何ら格別のものではないから、公知又は周知の黄桃と実質的に同一のものであると主張する。

しかし、晩黄桃を花粉親としての使用した場合、顕在的な特性を支配する遺伝子のみならず、顕在化していない特性を支配する劣性遺伝子も機能するものであり、本件黄桃の前記特性は、上記劣性遺伝子等も関与した結果発現したものであることは明らかであるから、花粉親としての晩黄桃が、公知又は周知の黄桃と実質的に同一ということはできない。

また、原告らは、本件黄桃の形質が、交雑育種において両親の形質の組合せから生じることが容易に予想される範囲内に止まっているから、本件発明には進歩性がないと主張する。

しかし、晩黄桃を花粉親として使用するについて、日本国内において公知、公然実施であったとか、また、これを示唆するものが存在したと認めるに足りる証拠がない以上、当業者は、タスバーターと晩黄桃の交雑育種を容易に想到することができなかったというべきことは、前記認定のとおりである。したがって、本件黄桃の形質がタスバーターと晩黄桃の交雑育種から生じることが容易に予想される範囲内であるとしても、両者の組合せによる交雑育種を容易に想到することができなかった以上、本件発明を容易に想到することができたということはできない。

したがって、原告らの主張は、採用することができない。

第四  以上のとおりであるから、審決には、原告ら主張の違法はなく、その取消を求める原告らの本訴請求は、理由がないものというべきである。

よって、原告らの本訴請求を棄却することとし、訴訟費用の負担について行政事件訴訟法七条、民事訴訟法六一条を適用して、主文のとおり判決する。

(口頭弁論終結日・平成一一年四月六日)

(裁判長裁判官 清永利亮 裁判官 山田知司 裁判官 宍戸 充)

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